子どもたちの感想文
「みんなが住みよい街に」のお話をきいて
今日の総合の学習でほうぼく館の青木さんと竹尾さんの話をきいて。
私は最初、ほうぼく館のことが分かりませんでした。でも多の津にある「ホームレス」の人たちがすんでいる所だと思いました。
ホームレスの人たちは、なりたくてホームレスになったわけではないと言う事を知ってホームレスになってしまった人たちがかわいそうでした。青木さんや竹尾さんがたはそんな人たちをたすけてとてもやさしいなと思いました。
青木さんは前、多の津ではなくほかの場所でほうぼく館をたてようとしたけどすんでいる人たちに反対され多の津を見つけて多の津の人たちが、いいよ、ぜひよろしくお願いしますなど心のやさしい事を言ってくれて本当に、うれしいです。
私も、ほうぼく館の人たちを応援します。
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青木さんの話を聞いて、私は、ホームレスのイメージが変わりました。
私は多々良橋の下の所でホームレスの方々を見たことがあります。
そのとき、ホームレスの方が誰かにどなられていて、すっごくこわかったのを覚えています。
でも、今日話を聞いて、ホームレスは困っていて助けなければいけないんだと思いました。
でも、私には家族も友達もたくさんいます。それは、すっごく幸せなことだと思いました。
また、悩み事があったら、すぐに相談できる、大切な親友だっています。
そして、相談したら、解決しなくてもスッキリしてどうでもよくなったり、親友が「こうしたら?」とか言ってくれるので、すごくうれしいです。
だから、ホームレスの方々もそんな人を待っているんだと思いました。
これから、ホームレスの方々だけでなく、身近な友達などに、困っていたら声をかけていこうと思いました。
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私はホームレスの人は、ただ家がないだけだと思っていました。
でも、ホームレスの人だって好きでなっているわけでもないのに差別をうけるなんて、おかしいと思いました。
毎日、一人で過ごすなんて私にはできません。そう思うとホームレスの人はどんなにつらいだろうと思います。
それでも、抱樸館に入ることで希望がもてるようになるのは素晴らしいなと思いました。
青木さんや竹尾さん、それにその周りの方々のあたたかさを感じました。
そのあたたかさのおかげで、立ち直ることができたんじゃないかなと思いました。
人の心って本当にすごいなぁと思います。そして、ホームレスの人を助けようとした青木さんの心もすごいなぁと思いました。
これから、困っている人がいたら手をさしのべられるようになりたいと思いました。
そして、一人でこ独になるような人がいなくなればいいなと思いました
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私は「イストリゲーム」をした時、7人の残った人は、どうするんだろう、と思っていました。
すると、7人の人は、みんなの間に座ればいいと言っていました。私は、そうすれば、みんな座れて平等になると思いました。
ホームレスの人は、仕事も家もなくなって野宿している人と良いイメージではありませんでした。
でも、話を聞いていると、ホームレスの人たちは、努力して、仕事をさがしていることが分かりました。
だから、努力している人を、「ホームレス」と言って差別してはいけないと感じました。そして、自分にできる支援はやっていきたいと思いました。
私は、以前ほうぼく館で、習い事で行きました。みなさん優しい人で、空いている日があれば、見学に行きたいです。
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やっぱり、家の中や町内でも評判がよくありません。私も、家族や町内の話しを聞いていたら本当は、できてほしくありませんでした。
いろいろな悪い話しばかりだったからです。良い話しは1度も聞いたことありません。
ほうぼく館ができる前は、なんか仕事場のりょう?と聞いたことがあって、すごく不気味なたてものでした。
が、なんか工事されてきれいなたてものになりました。
今でも、ホームレスは、良い印象がないけれど、ほうぼく館の青木さんなどの話しを聞いて私が少しでもほうぼく館の人達を受けとめて、
家族がなんか悪いことを言ってたら、「そういう言い方、いかんよ!!」とか、
「なにも知らんくせにその言い方おかしくないっ!?」って言える自分になりたいと思いました。
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ぼくははじめ正直に言うとホームレスなんてどうでもいいと思っていました。
なぜかと言うとぼくにはホームレスなんて関係ないし、ホームレスのことなんて知らなかったからです。
でも今日、イスとりゲームの話しをされて何だか急にホームレスの人がかわいそうに思えてきました。
なぜならぼくはイスとりゲームで三回ともすわれなかったからです。ぼくはその時とても悲しくなりました。
そしてぼくは思いました、「人は一度つらい思い、悲しい思いをしないとその人の気持ちはわからない」と思いました。
でもぼくはそんなつらい、悲しい思いをしなくても人の気持ちがわかる人間になりたいです。
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私は、ホームレスの人たちを助ける場所が多々良にあることがとてもうれしかったです。
それは、多々良の人がホームレスのことを考えているという事だと思いました。
イス取りゲームでは、ジャンケンで勝ってすわりました。今、思えば、勝者がいればまけた人もいるという考え自体、おかしいのかなーと思えます。
つながりや絆は、自分を助けるだけでなく相手をも助けるじゅうようなものと分かりました。
それは、ホームレスの人だけじゃない私たちにも関係することだと分かりました。
必死に生きて、努力してるのに認められないのは、いけないと思います。
私は、自分が仕事がやだからとホームレスになった人はいない、ということと、つながりは大切、ということを、わすれないように、心がけていきたいです。
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抱樸館を博多にたてようと計画したときにそこの住人の人々が強く反対したのが、同じ福岡に住む人として悲しかったです。
でも多の津にたてようとしたとき、多の津の人々が「それはいいことです。協力します。」
と言ったときには安心しました。同じ多々良校区の人としてうれしかったです。この地域の人々は心が温かいんだと思いました。
いす取りゲームでいすに座れなかったり、仕事に就くことができなかったりと、能力や才能があっても、結局は運で色々なことが決まるのが残念です。
「運が悪かった。」
その一言で終わらせたくないです。
ちゃんと努力がむくわれる世の中にしていきたいです。そのために人と協力して、助け合う、ゆずり合う心を忘れないようにしたいです。そして、大切にしていきたいです。
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私は、まだ、ホームレスを知らない時、「お母さんアレは何?」と聞きました。
すると、「アレはホームレスと言うの。アナタとは関係ない」とまるで悲しさというか、ひどい、言い方をされました。
それから、ホームレスというのをとおざけたり、見てないふりをしていたり、
とにかく、ホームレスは、「こわくて、私たちとすむ世界がちがう。」と思いこんでいました。
でも、今日の話しを聞いて、ホームレスの人は、1日1日コドクと生きていたんだ…。」と身にしみました。
ホームレスの人を私はまちがって見てしまったと今こうかいしてしまいました。
コドク…私もそんな時があったけど友達がいたからたちなおれたこともありました。
だから私もホームレスの人をいやな人と思わず、がんばっている人だと思えるようになりたいです。
今日の話で私は心がしんみり、なりました。ありがとうございます。
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今日、そうごうで抱樸館の話しを聞きました。
ホームレスの人は、仕事がなくて公園などにすんでいるから、カンをひろってお金にかえたりしてなんとか、ごはんを食べているということが分かりました。
ほうぼく館は、そういう人たちの話などを聞いて、なんとかしてあげているということなども分かりました。
そういうふうに、ほうぼく館から助けられた人たちは、みんな仕事もできていてとてもすごいと思います。
今日、ほうぼく館にきた、手紙をみました。みんな、仕事も生活もできていてよかったなと思いました。
これから、いろいろな人たちがこまっていたら助けてあげたいです。
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