「抱樸館福岡」館長青木が出会ったみなさん~その1
「お酒をやめて、みんなと仲良く生活したいです」 Yさん 52歳 女性
Yさんとお会いしたのは、美野島めぐみの家(※1)のSさんからの紹介がきっかけでした。
「なんとか早く野宿から普通の生活をしてほしい人がいるんです。女性です。でも、お酒はかなり飲むし、自立は難しいかもしれません。
でもどうぞ、一度会って話をしてくれませんか?」と電話がかかってきました。
私はYさんにはお会いしたことはありませんでしたが、Yさんより早くアパートに入居した人たちから、
「気になる人がいるからなんとかしたい」と相談を受けていたので、存在は知っていました。
Yさんは、小柄で笑顔のかわいらしい女性でした。いつも荷物をキャリーカートでゴロゴロと運んでいるため、
「ごろちゃん」と言われていました。聞くと、天神の地下街で寝泊りしており、テント生活ではないので荷物を置くところはなく、
いつも全ての荷物を持って歩いているとのことでした。
Yさんは熊本県の生まれで、4人兄弟の末っ子。勉強は苦手で、小学校のときには特殊学級に通っていたとのことでした。
中学校には「猛勉強」して普通クラスに入れてもらったのですが、勉強には全然ついていけなかったそうです。
(しかし、療育手帳は申請したことがなく、なんのサービスも受けたことはありません。
野宿となっている人のなかに、実際は障がいがあるのに、障がい手帳を持っていないという人に実に多く出会います。)
中学校卒業後、地元の縫製工場に入社。27歳まで勤めましたが、結婚を機に退職。男の子をひとり授りました。
しかし、そのうち「自由になるお金がほしかった」と、消費者金融で借金を作ったことがきっかけで、離婚。
このころから、お酒を飲むようになったようです。息子さんはだんなさんが引き取るかたちでYさんが家を出ることになり、
故郷を離れて兵庫県のある温泉の旅館のお手伝いさんとして住み込みで働くことになりました。
33歳のときでした。以降、家族の誰とも連絡をとれなくなりました。
その温泉旅館では10年間ほど働きましたが、クビとなってしまいました。
仕事と住まいを同時に失い、どこに行ったらよいのかも分からず、東京の上野公園でしばらくホームレス生活をするようになりました。43歳のころです。
そのうち、あるアルコール依存症の方のための団体に誘われて、入寮。
しかし、その団体は近年「貧困ビジネス」(※2)と非難されるようなところで、生活保護費はほとんど取り上げられ、
毎月3,000円しかお金を持たせてくれなかったそうです。そして、入寮したのは東京でしたが、そのうち沖縄の施設に移され、
そして沖縄から福岡の施設に移されて、博多にやってきたのでした。
寮にはつきあいの難しい人も多く、狭い部屋に何人も同居させられ、またお金もほとんど取り上げられるので、
博多の寮から逃げるようにして出てきて、そのまま天神でホームレス生活となったのです。2008年の2月のことでした。51歳になっていました。
しばらくして、美野島で炊き出しがあることを知り、それからは毎週美野島に行って、ごはんを食べることが習慣となりました。
また、食べるだけではなく、食事のお手伝いもすることになりましたが、テキパキと仕事をすることは難しいようです。
1年半近く、天神でホームレス生活をしました。天神でホームレスをしていると、女性だからか、よく差し入れを受けたそうです。
差し入れはとてもありがたいものですが、野宿から脱出できるような支援が必要です。
当時は家がないと生活保護を申し込むこともできず、自立できる手段が見あたりませんでした。
また、Yさんはお酒が大好きで、お酒を飲むと止まらなくなります。Yさんもお酒をやめる決心がつきませんでした。
しかし、2009年5月、Sさんから何度もの「今の生活には区切りをつけて、新しい生活に入ろう。
アパートに入居して、新しい生活をするために、いい人を紹介するから」とのアプローチが実り、私たちに紹介していただいたのです。
はじめて会った日、Yさんはこれまでの生活を教えてくれ、
そして「お酒をやめて、みんなと仲良く生活したいです」と入居の申し込み用紙に書いてくれました。
これまでは、よくいじめられることが多かったそうです。
Yさんが香椎のシェルターに入居して1ヶ月が経過しようとしています。
お酒については、精神科に通院を開始し、毎週1回、アルコールのためのデイケアに通っています。
また、シェルターの他の入居者にも協力をお願いし、苦手なところは協力してもらったり、よくお互いの部屋を行き来して楽しく生活ができているようです。
お金を持つと、お酒の誘惑に負けてしまうかと心配していましたが、今のところはお酒を飲まない生活ができています。
それでも、今は週3回に分けて小分けにしてお金を渡しているところです。軌道にのれば、1週間に1回の頻度から、月に1度の頻度にしたいと思っています。
住所ができたので、今後は療育手帳を申請して、彼女にあった作業所をみつけたいと思っています。
50歳を超え、障がいを抱えたYさんに一般の就職は難しいのです。
そして、最も彼女に必要なのは、普段から気軽に話せたり、冗談の言える友達のような人間関係だと思っています。
彼女自身、「みんなと仲良くしたい」と言っていますが、今後お酒のことでもそれ以外のことでも、困ったときに相談できたり、
また嬉しいときに一緒に喜び合えるような人間関係があれば、Yさんは生活の立て直しがきっとできるだろうと思っています。
そのお手伝いが、今、始まったところです。
* * * * *
その後、療育手帳は無事取得し、作業所に通って3年が経過しました。
今は作業所で働きながら、何か困ったことがあると、抱樸館に相談に来られます。アルコール依存も治療は順調です。
完治することは難しい病気と言われていますが、お酒におぼれることもなく、元気にアパートで暮らしています。
仕事があり、なかまができたことがよかったのだと思っています。
(※1)NPO法人美野島めぐみの家。お盆とお正月以外は、毎週火曜日、博多区美野島の司牧センターでホームレス者のために炊き出しをしている。
(※2)ホームレス者や派遣・請負労働者など社会的弱者を顧客として稼ぐビジネスのこと。
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