ふくしサービスセンター びすけっと佐賀
最期の茶碗蒸し
最期まで 自分らしく 住み慣れた自宅で過ごしたい
・・・そんな望みの ささやかなお手伝いが 私達のお仕事です。
8/31付のブログ「“再会”の盆提灯」(http://fukushi-greencoop.or.jp/prog/blogs/14956)のお話の続きです↓
暑さもおさまり、秋の訪れた頃、Mさんは足腰の痛みが強くなって、一人の時に転倒し、緊急搬送されました。慣れない病室や食事、普段と違う生活リズムで、食べ物が喉を通らなくなってしまいました。栄養をとるため鼻から管を入れましたが、お体は衰弱...。これはもう、自宅に戻られた方がいいだろうと、3週間後に退院となりました。
かねてからMさんは「最期まで自宅で過ごしたい」、ご家族も「尊厳ある死を遂げさせたい」と望んでいました。その思いをかなえようと、家族のみなさんはそれから毎日交代で泊まり込みをされ、私達ヘルパーもケアマネージャー、訪問看護師と密に連携をとりながら、1日2回の訪問サービスを再開しました。
食事は、鼻から入れていた管をはずし、本人の好きなものをお口から食べて味わってもらおうと、とろみ食をいろいろ準備しました。特に、これまでもヘルパーがよく調理していた茶碗蒸しを食べたかったようです。
退院した翌日から少し食べられる日もありましたが、ほとんど食べられない時もありました。しかし、いったんは食事が喉を通らなくなったMさんは、なじみの顔に囲まれて、好きなものを口にできたということで、とても安心されたようでした。
~茶碗蒸し 最期のーロ運びたる
嚥下の音に 胸なでおろす~
自宅に帰られてから10日目の早朝、息をひきとられました。最期まで本当にがんばられました。そして、天国のご主人のもとへ行かれたのです。
ケアチームのリーダーは、ただちに駆けつけ、エンゼル(逝去時)ケアを訪看さんと一緒に行いました。
「お気に入りの着物を着られて、凜として横たわるMさん、このお体はヘルパーがつくった食事で作られていたんだなぁ。この家でのさまざまな思い出をヘルパーと紡いできたんだなぁ。自宅で看取るという約束を果たせて良かった! そんな安堵感がサービスを終えて朝焼けの中、自転車をこぐ私の心に広がりました」(ヘルパーからの直後の報告メール)。
~紅をさす お顔は凛と やすらかに
夫の迎えあったと 確信す~
息子さんは「母のわがままをいつも聞いてくださって、ありがとうございました。いずれ私がお世話になるかもしれないから、その時はよろしくね」なんて、冗談を言われました。寂しさはありますが、悲壮感はありませんでした。
「住み慣れた地域、住み慣れた自宅で最期まで過ごしたい」という望みを貫かれたMさん、最期まで寄り添われたご家族には、「尊厳ある人生」というものを学ばせていただきました。
びすけっとは、そのお手伝いをこれからも続けていきます。