みんな抱(いだ)かれていた。眠っているに過ぎなかった。泣いていただけだった。これといった特技もなく力もなかった。重みのままに身を委ね、ただ抱かれていた。それでよかった。人は、そうしてはじまったのだ。ここは再びはじまる場所。傷つき、疲れた人々が今一度抱かれる場所――抱樸館。
人生の旅の終わり。人は同じところへ戻ってくる。抱かれる場所へ。人は、最期に誰かに抱かれて逝かねばなるまい。ここは終焉の地。人がはじめにもどる地――抱樸館。
「素を見(あらわ)し樸を抱き」――老子の言葉。「樸(ぼく)」は荒木(あらき)。すなわち原木の意。「抱樸」とは、原木・荒木を抱きとめること。抱樸館は原木を抱き合う人々の家。山から伐り出された原木は不格好で、そのままではとても使えそうにない。だが荒木が捨て置かれず抱かれる時、希望の光は再び宿る。
抱かれた原木・樸は、やがて柱となり、梁となり、家具となり、人の住処となる。杖となり、楯となり、道具となって誰かの助けとなる。芸術品になり、楽器となって人をなごませる。原木・樸はそんな可能性を備えている。まだ見ぬ事実を見る者は、今日、樸を抱き続ける。抱かれた樸が明日の自分を夢見る。
しかし樸は、荒木である故に少々持ちにくく扱い辛くもある。時にはささくれ立ち、棘(とげ)とげしい。そんな樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。樸のために誰かが血を流す時、樸はいやされる。その時、樸は新しい可能性を体現する者となる。私のために傷つき血を流してくれるあなたは、私のホームだ。
樸を抱く―「抱樸」こそが、今日の世界が失いつつある「ホーム」を創ることとなる。
ホームを失ったあらゆる人々に今呼びかける。
「ここにホームがある。ここに抱樸館がある」。
奥田知志
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